邪馬台国はどこ?

その他
邪馬台国1

中国の魏志倭人伝に記載されてある「邪馬台国(やまたいこく)」は、日本のどこに存在したのか。

タイムマシンが発明されない限りは、解き明かされることはまずあり得ないとされる日本古代史上屈指のロマンあふれる永遠のミステリーについて、皆さんはどのように考えているのか、ネット上を調査してみました!

目次

1位 九州(52.5%)


邪馬台国2

回答者の多くが「九州」「北部九州」と答えているが、福岡県(全回答数の10.0%)、大分県(全回答数の2.7%)、佐賀県(全回答数の2.2%)、熊本県(全回答数の2.2%)と答えている人も居た。

福岡と答えた方は、八女市、みやま市(旧山門郡の一部)、朝倉市、久留米市などを挙げている。

大分と答えた方は、中津、宇佐、日田などを挙げており、特に宇佐を挙げる人が多い。

佐賀と答えた方の大半は、もちろん吉野ヶ里遺跡を挙げている。

熊本と答えた方は具体的な地名を挙げてなく、魏志倭人伝の記述から推定したということだろうか?

学校の教科書に邪馬台国の場所は畿内説と北部九州説の二つがある旨が書かれているので、九州と答える人が多いのは当然だが、それにしても過半数を超えていた。


回答年回答数順位
2021年42/64(65.6%)1位
2020年42/82(51.2%)1位
2019年29/56(51.8%)1位
2018年19/43(44.2%)1位
2017年45/93(48.4%)1位
2016年26/51(51.0%)1位
2015年11/19(57.9%)1位
TOTAL214/408(52.5%)1位


■邪馬台国を九州と考える根拠
○魏志倭人伝には卑弥呼が魏に絹織物を贈ったことが書かれているが、弥生時代までの絹の出土は全て九州
○魏志倭人伝に邪馬台国から東に海を渡ると別の倭人の国があると記載されているが、つまりその別の倭人の国が畿内
○2世紀初頭~3世紀半ばに存在、鉄・絹・城柵の存在、朝鮮半島の遺物の存在、伊都国から見て南、それら4つの条件を満たすのは北部九州で、纏向は満たさない
○久留米の高良山にある祇園山古墳群が時期的に一致
○畿内は鉄鏃や絹が出土してない、また、墓のサイズが卑弥呼のそれよりも大きすぎる
○九州各地の当時の遺跡から「硯」が発見されており、文字を使っていた形跡が見られる
○魏志倭人伝には「邪馬壹国(やまいこく)」と記述されており、それが訛って八女(やめ)になった
○帯方郡から女王国までは12000余里で、それが八女か旧山門郡あたり

2位 畿内(31.4%)


yamataikoku-makimuku.jpg

邪馬台国は畿内にあったと考える人のうち、その半数以上が奈良県桜井市纏向(まきむく)だとピンポイントで地名を書いていた。全回答数の17.6%を占める。反面、奈良県以外をピンポイントで答えた人はほとんど居なかった。

回答年回答数順位
2021年14/64(21.9%)2位
2020年19/82(23.2%)2位
2019年12/56(21.4%)2位
2018年19/43(44.2%)1位
2017年41/93(44.1%)2位
2016年16/51(31.4%)2位
2015年7/19(36.8%)2位
TOTAL128/408(31.4%)2位


■邪馬台国を畿内と考える根拠
○魏志倭人伝に記載されている「里」は、どの度量衡を用いても九州説に合致しない
○呪術に使われる桃が種として大量に発見されている
○魏志倭人伝には邪馬台国に七万戸が有ったと記されているが、九州にそのような集落はない
○炭素14年代測定によると、箸墓古墳が卑弥呼の亡くなった240~260年と一致する
○混一疆理歴代国都之図に日本列島が南北に長く描かれており、邪馬台国を畿内とすると魏志倭人伝の記述と一致する
○魏志倭人伝には卑弥呼に銅鏡100枚を贈ったことが書かれているが、纏向遺跡周辺の古墳からその時期の年号をもつ銅鏡が多数出土している

3位 邪馬台国は無かった(4.4%)


yamataikoku-not found

魏志倭人伝に記載されている邪馬台国の位置を満たす場所が日本国土に存在しないことや、日本国内に邪馬台国に関する伝説や伝承が残されていないことなどから、邪馬台国は捏造によるものとする説もある。

回答年回答数順位
2021年3/64(4.7%)3位
2020年6/82(7.3%)3位
2019年4/56(7.1%)3位
2018年1/43(2.3%)3位
2017年1/93(1.1%)4位
2016年3/51(5.9%)3位
2015年0/19(0.0%)-位
TOTAL29/408(7.1%)3位


4位 四国(2.7%)


yamataikoku-awa.jpg

四国と回答されたもののうち、その大半は徳島県をピンポイントで上げていた。(全回答のうち2.0%)

回答年回答数順位
2021年0/64(0.0%)-位
2020年5/82(6.1%)4位
2019年0/56(0.0%)-位
2018年0/43(0.0%)-位
2017年2/93(2.2%)3位
2016年3/51(5.9%)3位
2015年1/19(5.3%)3位
TOTAL11/408(2.7%)4位


■邪馬台国を四国と考える根拠
○候補地の中で会稽東治で、郡から直線12000里にあるところは徳島県神山のみ
○魏志倭人伝に記載されてある出真珠・青玉・基山有丹とは、真珠・翡翠・水銀朱のことで、全てが阿波にある
○その時代の水銀朱の生産拠点は徳島県の若杉山遺跡でしか見つかっていない

5位 朝鮮半島(2.0%)


yamataikoku-chosen.jpg

根拠は示されていなかったが、邪馬台国を朝鮮半島に有ったと考える人も50人に1人くらい居て、それを論理的に主張する本も出版されているようだ。

回答年回答数順位
2021年2/64(3.1%)4位
2020年3/82(3.7%)5位
2019年3/56(5.4%)4位
2018年0/43(0.0%)-位
2017年0/93(0.0%)-位
2016年0/51(0.0%)-位
2015年0/19(0.0%)-位
TOTAL18/408(2.0%)5位


その他(7.1%)


yamataikoku-dokyo.jpg

そのほか、中国や朝鮮と交易しやすい日本海側で且つ農業が進んでいたことを理由に「福井県」と答える人や、昔から強い豪族がいた吉備(岡山)や出雲(島根)、ヤマタイと読めることから八幡平(岩手)と答える人も居た。それから、初め九州にあったものが畿内へ東遷したとする回答も複数見られた。

回答年回答数順位
2021年3/64(4.7%)-位
2020年7/82(8.5%)-位
2019年8/56(14.3%)-位
2018年4/43(9.3%)-位
2017年4/93(4.3%)-位
2016年3/51(5.9%)-位
2015年0/19(0.0%)-位
TOTAL29/408(7.1%)-位


邪馬台国の場所は何故、謎なのか?


邪馬台国が中国の魏志倭人伝に登場するのは西暦230~240年頃の話だが、当時、日本に文字はなかったとされており、日本側からの史実として邪馬台国を確認することは出来ない。

数百年後に編纂された古事記や日本書紀という、昔の日本を知ることが出来る資料はあるが、そこに邪馬台国のことは記載されていない。

したがって、邪馬台国の場所を知るためには魏志倭人伝が唯一の資料となる。(そもそも邪馬台国は魏志倭人伝にしか登場しない謎のクニ)

魏志倭人伝には狗邪韓国(くやかんこく=韓国)→ 対馬国(つしまこく=対馬)→ 一支国(いきこく=壱岐)→ 末盧国(まつらこく=松浦)→ 伊都国(いとこく=福岡県糸島市)→ 奴国(なこく=福岡市那の津)→ 不弥国(ふみこく=???)→ 投馬国(とうまこく=???)→ 邪馬台国(やまたいこく=???)と朝鮮半島から邪馬台国に至るまでの道程が方角や距離とともに記載されている。

奴国に至るまでの場所はほとんどの学者の間で一致しているが、不弥国以降の場所がミステリーで、魏志倭人伝に記載されている距離と方角から推定すると、邪馬台国は沖縄県の遥か南方海上に位置したことになるのである。

なお、魏志倭人伝が記された頃には日本に文字がなかったため、そこに記されている地名の漢字に意味はなく、読み方に重要な意味がある。不弥国や投馬国の読みに一致するような場所はあまり聞いたことがない。(そこを確定できるものがあるならば、邪馬台国の位置もわかってくる)

また、邪馬台国はヤマト国のことではないかとも言われているが、ヤマトと読む地名は奈良県だけに存在するわけでなく、北部九州にも存在しており、そのことから九州にあった邪馬台国が畿内へ東遷したのではないかと考える人も居る。

とにかく、邪馬台国の場所はそれを特定するあと少しの所で謎となってしまったのである。

ネット上で散見した情報によると、東京大学は九州説を主張しており、京都大学が畿内説を主張するという構図で、これは決着することがない永遠のテーマとなってしまっているようだ。

みんなが考える邪馬台国の場所 回答一覧表


順位名称
1位九州52.5%
2位畿内31.4%
3位無かった4.4%
4位四国2.7%
5位朝鮮半島2.0%
--その他7.1%

※回答年は2015年~2021年で総回答数は408件
※回答は一人一つのもののみをカウント。
※「わからない」は誰もが承知で、質問の趣旨に沿ってないためノーカウント。
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